おすぎの中身

素直なまま(’-’*)♪

溜め池

畑に溜め池(穴が掘ってあり水が溜まっていた)があった

 

近づかないように両親から言われていたのを思い出す。

 

長い棒を持って

どのくらいの深さかを調べていた。

 

あまり深くなくても

底はぬかるんでいるから

入ってはダメと

言われた

 

もちろん入ったことは無いが

気になっていた

 

しかし、

大きくなると

存在さえも忘れた

 

今回小さいころを思い出していて

そういえば、、、、

と思い出した。

 

家にいるより

外にいることが多く

何でもかんでも

興味があったのかもしれない

 

自分から見つけることが

好きだったのかもしれない

 

 

今は見向きもしないことが

ワクワクするものだったようだ(^^

ブランコで一回転

小学生のころ

ブランコでグルンと一回転するのを目指していた

 

ブランコをこいでこいでこいで

 

まずは目の前の桜の木まで足が届くのを目指して

その次はもう少し先の枝までを目指し

 

 

一回転するまで

頑張っていた

 

もちろん一回転したことはない

 

しかし、

今日よりも明日は高く高くと

頑張っていた

 

できるできないじゃなく

やりたいから

できたら楽しそうだから

 

 

できるできないを

いつから考えるようになったのか

クワガタは拾うもの

クワガタは拾うもの

 

朝起きたら玄関先に転がっている

 

それを拾う

 

時には

橋の電灯のしたから

兄が捕ってきてくれる

 

たまにカブトムシに出会うと

嬉しかった

 

 

今は虫が嫌い

 

なぜ

拾えたのか?

 

ワクワクしたのは

何だったのか?

 

今は

ワクワクが他のものに

変わったのだろうか?

 

テレビ

幼少の頃

テレビのチャンネルが3つしかなかった

 

記憶によると

山奥に家があり、

電波状況がよくなかったから

3局のみ見ることができた

 

だから

友達とテレビの話はしたくなかった

 

見栄をはって

わかったふりをしていたことを思い出す。

 

 

知ったかぶりは

この頃から発生していたようだ、、、、

 

 

仲間外れにされたくない

という気持ちもあったのかもしれない

 

大人になったら

テレビを見ていようが見てなかろうが

気にならなくなった

 

知ったかぶりは

他の場面で出るようになった

 

知らない自分がダメ

仲間外れになりたくない

 

があるのかも??

 

大きくなったら

おまめさん

な私は、

大きくなりたかった

 

大きく大きく

なりたかった

 

でも

恐かった

大きく大きくなって

ウルトラマンくらい大きくなったら

家に入れない、、、

と考えて恐かった

ことを覚えている

 

 

発想が自由だ

 

 

今は発想が乏しい?

もっと自由で良いはずなのに

おまめさん

 

幼い頃は小柄だった

(今は、まぁ普通サイズ?)

 

小柄だったから

従兄弟から「おまめさん」と呼ばれていた時期がある

 

「おまめさん」は

小さいからと

周りが世話をしてくれる

という記憶

 

 

私は

自分が何もしなくても

周りがやってくれると思ったまま

大きくなった、、、

 

のかもしれない

 

 

ここまで書いて思うこと

 

私は

一人じゃないし

周りから愛されていた

 

と思った

 

しかし、

記憶が違う